2023/07/03



あいちのラーニングプログラムのエクステンドな活動「 勝手にzine(仮)」のミーティング。当然のように集まりが継続している。あいちの展覧会からもう1年が経つなんて信じられない。プロフェッションが無くてもアートができるということの証明がわたしたちかもしれない。プロと素人とかじゃ、だんだん無くなっていく。わたしがいくつかの要点においてポンコツだから、ちょうどよく呆れられているということなのかもしれないのだけれど。とにかく、誰かが誰かをおだてあげる必要は全く無いのだ(←真面目すぎるハム太郎)。

参加メンバーのなるさんが「アートはアーティストが神業的に作り出したり行ったりするものだと思って私はそれを享楽していたけど、そういう側面も引き続き持ちつつ、しかし違う付き合い方もあるよな」的なことを言っていて、ほんと救われるよ…とおもった。測って挟まって抜け出してる!それにわたしまで連れ出してもらってありがたや、ありがたや。いいひとたちの集まりで、いつもみんなに助けられている…本ができたら名古屋でパーティーしたい!!!

タレンティーに振る舞ったりプロデュースされたりすることで個人が神格化する流れ。資本主義×新自由主義の強火世界で、「勝手に」の活動のフォーカスであることのひとつ「挟まり」は癒しというか薬というか、そういう感じかもしれない。SFにはいつだって戦争、差別、飢餓、階級があり。そうじゃない世界を想像する必要があり、そのためのステップ。みたいな。


癒しといえば、「オナニー」が寂しさや情けなさや慰みを貶すニュアンスを含んだ罵倒の形容詞として使われている一方で、「セルフプレジャー」は自分を癒す特別な時間として(大体女性の)オナニーを呼び変えている。あなたの作品はオナニーだ、というのと、あなたの作品はセルフプレジャーだ、というのと。全く世界観が違う…フェミニズムは土を混ぜて豊かにする豆科の根っこ。。