2023/06/05





ケイコみた。ソウルのミニシアターEMUにて。

土地を細切れにして、物語的なラインで繋ぎ直して異なる土地をジェネレートすることもできる。映画ってすごいな。いい映画見ると映画がつくってみたくなるか、この映画以外要らないなってなるか、どっちかの気持ちになる。


三宅さんのトークも聞いた。韓国語で質問されて、同時通訳の人が耳元で訳し三宅さんが日本語で話して通訳の人が語り直す。三宅ニキが言ってたことで面白かったことのメモ、曲解含む。

・弟のように、会長のように、ケイコを見つめ、撮れたらと考えています。ケイコを真ん中にしていろんな人物がさまざまな眼差しで(弟や会長は暖かな眼差しで)ケイコを見つめる。そうしてシーンの断片ができてゆく。それを繋ぐ。カメラもその断片の一つ。

・一人称視点は、カメラが役者の目だというただのお約束なのでなるべく使いたくないと考えています。

・リングの中にカメラを入れるかどうか、その都度考えながら進めていました。安全に撮影を進めることができなくなってしまわないように注意した。

・他者。聴者と聾者。女性と男性。戦う人と戦わない人。格闘家って何で戦うんだろう?→究極的に、なぜ人は生きるのか、につながるかもしれない。(こういう口説き文句みたいなのかましてみたい)知らないことを撮る方が面白い。

・松ちゃんが泣いて、それを迎え入れて練習に戻るシーンでケイコのあの顔を撮ることができたのは、この作品の一つの達成。その後ジムの他のメンバーがケイコと会長の動きを真似して同じ練習をするシーンは撮影当日に思いついて入れることになりましたが、あのシーンを作ることになったのも、ジムで起きる時間と空間を共有することでつくられた特別な関係によるものだと思います。

・映画が終わった後も、どうしたらケイコがボクシングを続けられるかなと撮影中もずっと考えていましたが答えが出ませんでした。最後のシーンのライバルの選手が登場して、悔しいというだけでは収まらない心の動きを撮ることができたので、これなら終われるなと思いました。あの表について僕が何か言うのは岸井さんへの失礼にあたるかもしれないです。「岸井ゆきのさんのリサーチ」によるものですから。(役者が役を作ってくる→役者によるリサーチ:他者から見えない、リサーチが身体になって、カメラの前へやってくる。なにかをあらわして、それをカメラが記録する)