2024/03/11

 西美での抗議。つかれた。ツイッターで議論が起きてるのをウォッチ。それもつかれる。が、ついつい見てしまう。こんな虐殺が起きている中でなぜこの抗議活動がアートかどうかとか新しいか古いかとかそんなしょうもないことを議論する人たちがいるのだろう。アーティストである市民有志による抗議活動だと言ってるだろ…作品を重要な活動だと位置付けてるのであれば、なぜその発表の機会を取り巻いているものを指して政治的な活動に「巻き込まれた」とか言えるのか(メッセージの強い作品作れというわけではないが、戦時下でアートやるって自覚してんのかな)まあもう仕方ない、大学生たちがちゃんとしてくれたらそれでいいや。抑圧を制作し続けないで。ていうかこの虐殺についてもっと広く問題にして。取り扱って。炎上でもなんでもいいからいろんな人の注目を集めてほしい。できることをできる範囲でやる、を少し乗り越えないといけない時はある。今は本当にその時だとおもう。

仕事のためにプロテストを16時に抜ける。美術館の門の前で、公園に住んでるおじさんと少し話した。彼は酔っており、なんで今日なんだよと言った。今日は3.11ですよね。そうだよ、それはもうどうでもいいってのかよ。そんなことないです。俺は東北からきた生き残りだよ、おまえの持ってるその「殺すな」は、「助けよう」じゃだめなのかよ。――と、トモトシとおっちゃんとした。その方向性のプラカードは考えてなかったな。その場で一緒に作ってもよかった。警察の人はそんなに嫌な感じの人でもなく、無理矢理止めるっていう感じでもなくて日本はもっと無理しても大丈夫なんだろうなとおもった。滝さんが「うらさんこんなにデモしちゃって大丈夫?(キャリア的に)」と言ってくれた。全然OK。むしろ自分の映えパフォーマンスの力量不足が申し訳ない。普通に知らん人とだらだら議論するとかはできる。パフォーマティブな時間の連続。警察の人と話すのも全然大丈夫だった。アーティストである市民有志と説明して企画者や中心人物はいない、誰に聞いても全員がそれぞれ違うことを自分の言葉で語ると警察のひとに話した。もっと個人で同じ場で、時間かけてパブリックに話していけるパートを持ってもいい。

自分がつけてたパッチを悠さん(革ジャンに穴あけていいよと言った)に託し、滝さんから預かったドローンの模型&百瀬さんから借りた「殺すな」のプラカをトモトシにあずけ、ずっと周りを撮りながらタイマンにならないよう意識を向けてくれてた藤川君や玲児君に心の中でサンクスとおもいつつパレスチナの旗をバーバラさんに返し、などしてみんなに場を引き継ぎその足で上野の駅ナカのカフェへ向かっていきふつうにオンラインミーティングをした。帰りは少し長く歩いて、上野から西日暮里まで山手線の外側を線路沿いに歩いて帰った。