2023/05/29

また武蔵美へ。今日は百瀬さんのゼミにゲストとして参加した。特講のゼミといえば、中崎ゼミに入っていた。10年前だ!まさか自分が特講のゲストとして武蔵美にいるとはね。。2013年公開の映画を調べると、レミゼラブル、風立ちぬ、オブリビオン・・。私の方は当時付き合ってた人に振られ、ずっと昔に好きだった人とデートし、まさかの人から告白され、全く別の人と付き合い、と急に恋バナを挟み込みつつ、それらと並行して現代美術をちゃんと勉強し始めた年だ。暗黒舞踏のWSに通ったりとか。確かにかなり前だ!

かなり前とはいえ、この10年で、自分は何も成してはいない・・。今回のように、授業のゲスト講師としてよんでもらえることがたまにあるけど、なんかもっとちゃんとした研究者とか呼ばなくて大丈夫なのかな?1万円とかもらえるから嬉しくてホイホイできることはやります〜とかなり積極的に引き受けてしまうが(その度頑張ってはいるつもりだが)、よくよく考えてみると、どんぐりの背比べ的にちょっっとだけ目立っている卒業生をよんだりして、大学ってそんな感じでいいんだろうか?たとえば、スザンヌ・レイシーやウェンデリン・ファン・オルデンボルフと比べて、うらあやかを呼ぶのがいい!って思ってもらえてるならいいんだけど。おこがましいのだろうか、こういう承認欲求は。私は私で面白いところもあるだろうけども、サクッと声をかけてもらう機会が多いことで、むしろいいところがちゃんと評価されていないような気がして、声かけやすいだけというか、便利な人みたいな感じで思われている気がするというか、暇だと思われるんじゃないかとか、実際暇だからそれは構わないんだけど、とにかく勝手になんだか自分のことがすごく情けなくなってしまう。でもそれぞれの授業とかひとつひとつは楽しいのだ。それは本当にありがたいことだ。

私だってもっと頑張りたい。妙なタイミングで中途半端に、身内から評価がつく。そういうタイプのアーティストになってしまってるふうに、自分が感じている部分もあり、見えているかもしれなく、実際になりつつある(ちょっと脱線するけど、トークショー登壇経験値が同年代の他のアーティストと比べて段違いで多い気がする)。活動する場所を大きく変える必要があるかなあ。どうしたら。

学生の頃の私は、当時30代半ばの中崎さんのあの謎のゼミでめちゃ大きな学びを得て、制作をずっと続けられるようになったのだ。なんであんないいことが起きたんだろう。学習は運頼みみたいなとこある。(当時の中崎さんのキャリア的な状況は、今の私のものとは違うだろう)。

私がゼミに呼ばれることは別に問題ではなくて、もやってるのは「武蔵美から評価される卒業生のアーティストというポジション」なのかな。それがめっちゃ気に食わないってだけかな。だって作品がいいかどうか、私だってわからないのに。まあ、個展終わってお疲れ自分、である。

ゼミは充実した内容でてきた気がするし、楽しかった。去年CSLABで作ったmiroを見せ、「LGBTを読み解く」の読書ノートを見せ、みんなの考えていることを聞いた。資料は一度ちゃんとまとめると何度も使えていい。なんかそういうものを拵えていきたいかもしれない。何かを考えるために必要なツールへのアクセスをよくする治具。ちょっとずつの積み重ねができるとしたら、そういうものだ。日記もそうだけど、短い振り返りを書き留めておくことなら私にも続けられる。


①アイデアが出る
②アイデアを手がかりにして知りたい気持ちのままに調べる(カジュアルサーチ)
③アクセス先を箇条書きにまとめる、仮説や予測を立てる(サーチ)
④アクセスをする(リサーチ)
⑤その仕方を記述しておく(ノート)
⑥記述をまとめ直す、⑤を元に③④を比較する(マッピング)
〜大きな壁と飛躍、ちゃぶ台返しの可能性〜
⑦記述の点を繋いで輪郭線を引く(研究成果)

制作の流れが大体こうだとして、複数人での制作どうやっていくのがいいのか。他人とどこを協働するといいのか。AIにどこに入ってもらうのがいいのか。個展でインプットしたことをなんかまとめたりしたいがどうやってやったらいいんだろう。ここの作品単位でも考えられるし、それを研究対象的に捉えることもできそう。太陽系と天の川銀河の関係みたいに入れ子にして。とすると、私の個展は④のフェーズを出しているかも。3つ個展ができたから⑤ができそう。⑤ができたら⑥もできる!〜大きな壁〜に挫けなければ、いつか成果が出る気がする。シン作(ばか)。