2021/07/04

 小雨

今日は東京都議選だったらしく、わたしは神奈川に住まいし者なのでみんながvoteなinstagramなどを更新するのをチラ見しつつ新宿の本屋「i.r.a」へ。バトラーの新しい本『問題=物質となる身体』、五所純子『薬を食う女たち』、the feminist press発行の革命と抵抗の歴史のポスタープロジェクトの本『 celebrate people’s history』を買う。他にもポロポロとzineとかバッヂとかを爆買い。面白い本屋へ行くとどうしても「大人なのでOK」という気になって、(自身が低所得者層真っ只中なのに、)いいものを作っている人に直接行き渡りそうな場所で爆買いしてミクロな経済を回すべしという使命感のようなものに突っつかれついつい買いまくってしまうが、後で欲しくなった時自分で作れないものはすぐ買った方がいい。服は手に入れることができなくても自分でほしい形のものをこしらえれば良い、と技術もないのにそんなことを思っている。形への興味は刻々と移り変わっていくものだし。見て触っていれば気の済むところまではできるというだけのDIYだけれど(yourselfって誰視点なんだろ、英語には単語の段階から変な視点が入っていることがある)

 Anna Poletti『intimate ephemera』に、ベンヤミンの短いエッセイ『Experience』からの引用で「Young people are lauded,and hated,for their lack of experience, that they are denied any serious political or cultural respect because experience is seen (by the dominant,adult culture) as the necessary condition for such respect.(若者はあらゆる真剣な政治的、文化的側面において、支配的な大人たちの文化から拒絶されており、経験不足を理由に「新参者」として褒めそやされたり、また「素人」であることを理由に尊敬されなかったりする。(私訳))」とあり、や、まじそう(ていうか21歳のベンヤミンキレ散らかしてて最高…)と思ったりするけれど、学生がやることに対してそれやるならこれも見るといいかもとかたまに口出したりしていて、もちろんやらないときもあるが、これって………とか思うことも多く、今日も大体そんな感じでもあり、まだわたしは先生じゃないからかなり無責任に勝手に意見を渡し渡されしているが、3歳上くらいのひとたちが少しずつ非常勤講師になったりしていて、じぶんがもしそういう機会に向き合うことになったら3年の任期のうちおそらく2年くらいは先生ムーブが難しくてノイローゼになり、最後の1年でなにかがわかるという感じなんじゃないか。経験をした後はいつも出力できるものを3年かけて会得するというのであれば、私の場合、そういう機会に向き合うのは早ければ早いだけいいように思うけど、ま先生になってちょという話もきていないし、でも大学生たちとは関わっているわけで、、圧に悩むのもまた経験がないからなんでしょうか、ベンヤミンさん…。

文脈無視して持ってくるのアレだけど、Public conversation shapes social policy(世間の声が社会政策に反映される)と書いてあり、夢の話やと諦め的な気持ちがわきつつ、同時に小さい本をいっぱい作って、ポスターとかも、作品というよりは展覧会みたいな機会を、作って、Publict的ないやconversation bymyself のshapeをまずは表出させないといけないんだなー、卒業の時にメールで丸山さんから言われた(考えてばかりいないで作るべしと当時は受け取っていた)「表出なき思考はない」というのを思い出して、まあ原稿は進んでいないんだけど、でもやるかーという震えのような気配のようなものがやってきた!でも寝る!