2021/07/14

 雨と晴れ 天気のない世界だったら物語という考え方や、時間の捉え方が違うんだろうな。ここからそこへ移動するという考え方。

洗濯をするのを忘れていて、ものがするアピールに気付けずに、Kが洗濯をしてるのをみて気づく。ひとが何かをすると、それを介してものの状態を知ることができる、とか言ってないで洗濯は自分で気づいてやったほうがいいね。


(学生たちに授業を作ってもらう授業のファシリテーションとか、大勢のプロジェクトとかみたいに、コレクティブに複数の人に何かしてもらいたいときには、さきに運営で枠組みを設けて転びにくいよう跳ねやすいように足場をつくり、中身に集中してもらう必要があるけど、フェアな仕組み作りは。。)・・・とかそんなことばかり考えているな毎日毎日。昨日(7/14)は特にそうだった。足場をつくり、居合わせその足場を伸ばしながらみんなで移動するみたいな方法をしばらくやっていて、もっとこれがやりたいんだけど、いったいどうやってプレゼンしたらいいんだろう。というかこの仕事はなんて名前の仕事なんだろう。とにかく足場をつくる仕事は今後も続けたいな。


この間Oにどういう流れで今こんな感じで活動しているのかというようなことを聞かれてあまり答えられなかったけど、ここで答え直すならば、大学出たばかりの頃、なんか妙に格好つけたっていうか権力者っぽいっていうか椹木さんっぽいタイトル(「地域とアート・イデオロギー」とか)をつけトークイベントと銘打った、友人宅で酒飲んであーだこーだいう感じの回を何度となく行って遊んでいて、結局そういう小さく喋る場をいっぱい持つことと、いろんな場所に行くことなんじゃないか。作品力と作家力は違うと千葉さんが昔言っていたが、これは作家力の話。最近は、そういう若者ムーブもしなくなり、気の合う友達と散歩とか犬古表とか電音活動とかするのが遊び。年下の人たちの若者ムーブに絶妙なタイミングでゲストとして呼ばれたりする。その時の勤めは司会のアシストだなといつも思う。。そういうことをやってきた人で集まって遊んでみたい。作品制作の中盤で訪れる、いかに自分自身を作品に配置するかによって作品の質が大きく変化するのを考える過程が楽しい(分裂している大きな身体の血管)。