2021/07/09

 雨 ベタベタになった

Red Stockingの編集会議。今回の編集は私がやることになっているが、それはあくまで作業と最終的なビジュアルの判断を任されているという意味であって、表紙や紙面の流れはみんなで相談しながら決める。今回の自分の原稿はイラレの技術が少し進歩したような感じがしてうれしい。

服服交換で誰かが中学の時に着ていたらしい「男子が母に買ってもらった」っぽい品のいいシャツを貰い、着て過ごした。髪型と相まって女ともまたクィアぽくもなく、レズビアンぽくもなく、若者ぽくなく年長者ぽくないように思える。小学生のころ男の子が急にめっちゃ背が伸びて「誰?」となるかんじを思い出す。背が伸びるのは夏休みで、ミニトマトの成長と重ね合わさって「(ぐーん)」という印象がついてくる。

表現することに消極的で(それでも表象がついてまわる)、受動的に生き自分が存在することに驚くような。そもそも生まれるということは受動にはじまるもので、生きることは能動ではない(興味あるところを語る時、これ中動態のケースではとおもうときがよくある)。自死だけが自分の生にたいして能動性を試せる手段なのだろうか、というところから始まる作品が「おどる墓石」でもある。自分に対して誰でもなさを感じることができるのは自身だけだ。最近はそんなアイデンティティクライシス的なものが面白くて、それを積極的に引き起こすために動いているような気がする。居ながらにして居ないひとになりたい。でも消して群衆に消えたいってことではない。相対的にではなくて、絶対的に「居ない」が欲しい。幽霊的な存在の逆位置を取りたい。