2021/07/29

家族旅行へ。千葉。前日にめちゃくちゃ歯が痛くなってしまったので、前もってあまり積極的に参加できないかもしれないと予告した。正直家族旅行は好きじゃない。遠くでわざわざ家族をやるのって変な感じがする(両親がこの日記を読んだら悲しむかもしれない)。一緒にいることの落ち着かなさの回避もあって、後から合流することにした。みんなでやったら楽しいかもと思ってちょっと高いフェイスパックを買っていく。アクアラインを通りたいので川崎から高速バスに乗る。バスの内側には水族館みたいな、カラオケ館の壁みたいな模様が描かれている。ここで降りたいと思うような場所がたまにあって、車の単位で散歩は難しいし、バイクの免許でも取ろうかと考えたりした。本当になんの免許も持っていない。乗馬の免許とかあるならそれがいいな。

千葉につき、詰め込まれるように車に乗り込む。ぎりぎり5人乗れるけれど、この車で快適に過ごすには4人が限界だろうとか思った。移動の間にルールを決めて音楽を流し合うことにした。間に何かがあると落ち着く。ガイドを設けると居心地を確保できる気がする。壁際に座りたいみたいな野生の本能が介在している。宿では弟が持ってきたswitchで桃鉄をやった。複数人で長時間居合わせることのやりづらさを、それでも一緒にいるという選択をとるとき、それぞれの持つ緩衝材やら回避やらのパターンを出し合うことで場がなんとか成り立つのかもしれない。企画者である父の場合は場所を変えて連れ出すことで、私は音楽とフェイスパックで、弟は桃鉄だったんだろう。妹と母はそれに乗ったり反ったりした。小さなパーティーの形。そういうふうにして、つぎはぎのイベントみたいになるから最近どうだとかそういう話をする隙間がなくなるので、だから家族旅行は好きじゃない。家で写真を見せたりして時間をとり近況報告をするのでいいじゃないと思うのに、あまりわかってもらえない。「最近どう?」という問いかけによって、何者かでなければならないようなプレッシャーを感じられてしまうのかもしれないけれど、そうではないという話し方を、作品を作る時のように家族にインストールする、とか思うとやっぱり嫌だなあなんだか。仕事みたいで。家族ってなんだよって話だ。大人になったり、政治的立場が同じでないということをどうやって受け入れ合えばいいわけ。「クレヨンしんちゃん」的な家族観の刷り込み。