2021.6.20

 晴れ。オンゴーイングコレクティブで企画中の、アーティストやキュレーターたちの生活にフォーカスした展覧会に向けて、子どもたちの顔合わせを公園にて。出産や子育てを経験していなくても、周りに子どもがいたり、子ども向けのワークショップを考える機会もあり(そういう仕事が振られる系アーティストとそうでないアーティストがいる)、ケアワークを考えたり自分と違う環境のことを考えたりするときも、そしてわたしの身体が女性であるということも含めて「子ども」という存在をブラックボックスに入れておくのは難しく、どんな子どもがいるか知りたい。子どもTの判断や行動はとても具象的で具体的で、Tはまだ十分にマジョリティの言語形態で喋るわけでは無いがとてもわかるかんじがした。具体的とは「目的があってそこへ向かっている」あるいは「その状態であり続ける(たとえば目の前にダンサーの身体があるとき、抽象的なダンスは無く、コンセプトがあってもなくても身体の形はそこに現れ続けてしまうような)」ということをわたしは思い浮かべる。必要な知識(暑かったら水飲むとか)や身体のデカさを持っている人が、必要なときに補助をするということをベースにしていい気がする。あとは、要望を聞ける(何かしらのランゲージを受け取るリテラシー)仕組みを設けて、そのくらいでまずはいいのかもしれない。