2021.6.23

 雨と大雨と晴れと曇り。ストーリー性のある天気、と思いつき、なんじゃそりゃとつっこむ。

 「生理の日こそ可愛いもので気分を上げよう」という歌の流れる生理用品のCMのことをたまに思い出す。ちょっとやそっとの「可愛い」じゃ気分なんて上がらないよね。

 Nと日記の話をして、Nは語りかけるような口調と文法で手書きで日記を書いて貯めているらしい。中学の頃から。すごい。

 毎日毎日仕事をしていて、楽しいのだけど、ひとりでじっくりなにかをする時間と元気を全然確保できていなくて辛い。なにか新しい気づきが得られないと心が衰弱していく感じがするから面白そうなところへ赴くようにしているのだけど、何にも集中できなくてとてもしんどい。できる時もあるけど、やはりなかなか難しい。19時まで働いて、帰ってきてご飯食べるほか各種自分のメンテをするとそれだけでもうクタクタ。寝よ寝よ、寝ます。おやすみなさい。


 やっぱもう少しだけ書こう。公開した後だが。風呂に入ったら回復した。風呂はいい。風呂嫌いを克服しつつある。

 RAUで「誰かと経験を共有することが映像でできるとして、それはどんな映像か」というような話が出た。映像、のところはいわば変数で、文章とか絵とか日記とか音楽とか踊りとか歩行とか呼吸とか料理とか語りとかいろいろ入れて考えられるやつだと思う(し、誰かと経験を共有するということを特別目指さなくたって別にいいのだけど、みんなで考えると巻き込みあえて楽しい)。日記にそのものさしをあててみる。「誰かと経験を共有することが日記でできるとして、それはどんな日記か」。共有問題が発生する。わたしの経験を実在を翻訳して記録したものを誰かが読んで、それは共有でありつつ経験の共有ではない。経験を共有するというのはいったいどんなことなんだろう。たとえばVRみたいに一人称が他人に移植されるような日記は。